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変な椅子

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変な椅子
変な椅子を買った。前脚と座面と背もたれは緑色のプラスチック、後脚だけは唐突に銀色のアルミ。まるで漫画の怪獣のような椅子である。いわゆるポストモダンというやつだ。
 
なぜこんな椅子を買ったのかというと、僕はそのポストモダンというのにちょっと憧れているからだ。
 
ポストモダンという言葉の意味は、現代思想なんかを勉強すれば分かると思う。しかしそういう本はたいてい、内容のほとんどが知らない言葉で埋め尽くされている。

例えば、パロールとかエクリチュールとかポリセミーとかディセミナシオンとか、まるで暗号のような言葉が永遠に続く。何語で何のことを指しているのか全く分からない。分からないから調べてみるが、調べたところで分からない。
 
でもやっぱりカッコいい感じがして、よせば良いのに背伸びをして読む。当たり前だがだんだん辛くなってくる。そんな時に、ふと「ポストモダンの時代では」なんて風に、聞いたことがある言葉が現れると、突然分かったような感じがして救われる。一夜漬けで挑んだテストで、たまたま昨晩やった問題が出たような感覚に似ている。
 
そんなことを繰り返すうち、ポストモダンという言葉に妙な親しみを感じてくる。でも知っている言葉とはいっても、所詮は一夜漬け。本当のところはよく分かっていない。ポストモダンとはどういう意味かと聞かれても上手く答えられない。なんとかこれだけは分かるようにしておきたい。
 
そんなこんなでポストモダンに憧れる生活が始まった。
 
とりあえず、思想から理解しようとするのは難しそうだからやめておくとして、そういえばポストモダンにはポストモダン文学というのがある。
 
思想と聞くと、そりゃ難しかろうという感じがするが、かたや文学と聞くとグッと庶民的になる。小説とかなら僕でも読めそうだと思ってしまう。
 
早速、代表的なものを2、3冊買い集めて読みはじめた。しかしこれがけっこう手強い。だって主人公の彼女の名前が「中島みゆきソングブック」ちゃんである。これが序の口というのだから恐ろしい。辛くなってきたので途中でやめて、同じ作者の別の本を読んでみる。こちらはというと夏目漱石が森鴎外に「たまごっち」の入手方法について相談している。
 
困った。これでは思想の本を読むのとたいして変わらない。確かに言葉は庶民的になったのかもしれない。しかし、それは暗号の性質が少し変わっただけで、暗号は依然として暗号のままである。出口のように見えていたものは、新たな迷宮の入り口に過ぎなかった。
 
こういう時は、基本に立ち帰るのが良いだろう。
 
ポストモダンという言葉の初出はチャールズジェンクスの「ポストモダニズムの建築言語」だ。そもそもは建築評論の言葉である。
 
ポストモダン建築といえば、例えばハイアットリージェンシーとかイルパラッツォとか、僕の住む福岡にも有名なのがいくつかある。これは良いと、早速近くに寄ったついでに見に行ってみることにした。
 
いずれもホテルなので、僕は人目をはばかりつつ建物を観察した。近づいてみたり離れてみたり、正面からみたり、ぐるっとまわってみたり。腕組みをして「ふむ」といってみたり、色々としてみた。そして思った。だから何だというのだろう。
 
見たは見た、でもただそれだけだ。何か分かる兆しは一向にない。試しに泊まってみるという手も考えたが、目的もないのに地元の高級ホテルに宿泊するなんて変だ。できればそういう奇行は避けたい。
 
結局何も分からないまま、僕はまた頽落した日常に戻っていった。
 
しかし、兆しは急に訪れた。それはインテリアに関する雑誌を読んでいた時だった。
 
その雑誌には、ある部屋が紹介されていた。西洋的とも東洋的ともとれるその部屋の中央には、黒いレザーに金属の脚が付いたモダンなソファがドンと置かれている。そしてその周りを、アジアや南米のテーブルや椅子が囲む。最もぼくの目を惹いたのは、部屋の隅に置いてある、ただ立方体が積み上がっただけのクリーム色のフロアランプだ。
 
一見チグハグな要素のものが集まる統一感のない空間なのだが、何故か不思議とまとまりがある。ポストモダンなフロアランプも周りの家具と素敵に調和している。
 
ポストモダンの家具なんか、カールラガーフェルドん家みたいな、研ぎ澄まされた家にしか似合わないと決めつけていた僕は、これを見て衝撃を受けた。
 
こういう取り入れ方もあったのかと、僕は早速ポストモダンな家具を手に入れるべく、買えそうな物を色々と物色した。
 
そして見つけたのが、冒頭で触れた緑色の怪獣みたいな椅子だ。
 
僕の家の家具はだいたい木製の物が多い。ダイニングには、アンティークショップのクリスマスセールで買ったデンマークの丸テーブルに、これまたデンマークの椅子が二脚と、フランスのプライウッドの椅子が一脚。天井から日本の竹編みのライトが下がっている。
 
そこへ、この怪獣のような椅子を加えることによって、保守的なうちのダイニングも、あの雑誌の部屋のような、ワンランク上の空間に生まれ変わる。はずだった。
 
しかし、現実はそう上手くはいかない。
 
早速届いた例の怪獣みたいな椅子をダイニングに置いてみると、どうしたことか緑色が嫌に目立つ。今までは同じような色や素材で統一されていて、なんとか隠れていた随所の粗が、ありありと際立って見えてくる。それなりに気に入っていた家具達が、急に安っぽく感じられはじめた。
 
思っていた感じと全然違う。これでは相乗効果どころか、元の状況よりも悪くなっている。椅子を手に入れて興奮していた僕は、その反動でかなり落胆した。
 
そもそも考え方が間違っていたのかもしれない。難しい事を理解するのに、物を買って簡単に分かった感じを演出しようとするなど、どう考えても浅はかだ。残念ながら、怪獣みたいな椅子は1日とたたずダイニングから撤退することとなった。
 
仕方がないので僕はその椅子を物置に運び込んだ。安物の本棚とメタルラックが所狭しと並び、使わない物がそこへ押し込まれている雑多な物置だ。怪獣みたいな椅子には申し訳ないが、そこでちょっと作業をするための椅子として、第二の人生を送ってもらうことにした。
 
蛍光灯の青白い光、IKEAの6,999円の本棚、一家に必ず一台はあるあのメタルラック。シーズンオフの家電。そこに置かれる怪獣みたいな椅子。
 
置いてみて思ったのだが、なんか意外に悪くないかもしれない。いや、むしろとっても良い。
 
怪獣みたいな椅子が置かれることによって、元はただの汚い倉庫だったのが、まるで天才が故に片付けられないやつの書斎のように見えはじめた。
 
なるほど、そういうことだったのか。長い間悩み続けた問いの答えが、この閃きによって一気に分かったような感じがした。迷宮の出口はついに見つかったのだ。
 
まあ実際には、多分僕はまだ何も分かっていない。でも悩み続けるのも体に悪いので、この解決をもって、ひとまず手打ちにしておきたい。

藤雄紀
 

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