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<名で縛る>ということ

quitan

<名で縛る>ということ
前略、quitanです。

すっかり春になりました。
今年の東京は桜の咲きが心なしか早く、瞬く間に春が逃げてゆこうとしているみたいで、わたしは追いつくのに必死です。



さて、夢枕獏さんの陰陽師シリーズには、安倍晴明が酒を酌みながら友人の源博雅(みなもとのひろまさ)との会話を楽しむシーンがたくさんでてきまして、わたしは"春"を感じると何故だかこの二人の会話を思い出してしまいます。



晴明と博雅の心地よくも何気ない会話の中で、晴明のあやつる呪(しゅ)とは一体なんであるのかという話になることがありました。

"この世で一番短い呪とは、名だ"
と、晴明がいいます。

さらに、
"呪とはな、ようするに、ものを縛ることよ"
“眼に見えぬものさえ、名という呪で縛ることができる”
というのです。

これを読んだ当時、なんてロマンティックなんだ!ときゅんとしたものです。
雨が降ったり晴れたり、心移ろったり、草木が芽吹く今時分を呪で縛るなら、"春"なのですからね〜
さぞ平安乙女たちをときめかせたことでしょう。

(新世紀エヴァンゲリオンで、ゼーレと碇ゲンドウさん達がネルフやエヴァンゲリオンを使って実現しようとしている人類補完計画なんかもなんだか似た響きがありますね。庵野さん、お疲れ様でした!)

しかし、名という呪でものごとを縛るということは、たいへんに便利である反面に、逆をかえせば潜入観だとかそういったことに繋がるような気がします。

今まではずっとこうだったから、こうあらねば。
これはこういうものなのだから。という良くも悪くもありそうな固定概念もまた呪と言えるのかもしれません。
いつの間にか私たちは呪を使いこなすことなく、呪に翻弄されていることが多いものです。

本来、晴明の言う"呪をかける"ということは、きっとものごとの輪郭をとらえるということでもあるのでしょう。

とどのつまり、衣服をまとうことをもっと素朴に、もっと感じるがままに愉しんでもらうには、この呪と上手に付き合っていかねばならないということですね〜
時には、奇を衒っていると思われる勇気を持つことも必要かもしれません、なむなむ。



さぁさぁ、春ですよ、
呪でものごとを縛ったり、開放したり。必要に応じて。
まじめにこつこつと想いをまっとうして暮らしたいですね。
楽しみましょう〜

草々

宮田 紗枝 (quitan) 拝

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