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福岡の“俺ら系”クリエーターズ 10年以上ぶりの再会、からのコラボレーション<前編>

福岡の“俺ら系”クリエーターズ 10年以上ぶりの再会、からのコラボレーション<前編>

2022.03.11 / INTERVIEW

OVERCOATの大丸隆平さんのひらめきはいつ、どこからやってくるかわからない。

ある日、「これ見てください」と差し出されたスマホの画面には菅井健也さんという写真家のインスタグラムが。彼は、日本の写真界における新人登竜門「写真新世紀」第31回公募(2008年)で優秀賞を受賞した写真家だが、なんと大丸さんの小学校の同級生だという。最近ではボッテガべネタから依頼されたアートワークでも話題になっているそうだ。

2月初め、FW22のルックブック撮影のため、菅井さんがNY入りされるというので、フィッティングの前後にインタビューの機会をいただくことができた。「大丸さんにこんな“隠し球”があったとは……」という嬉しいサプライズを胸に、このシューティングはきっと素晴らしいものになるに違いない、と確信した。



市川暁子(以下A):小学校時代の同級生だったそうですが、お仕事をご一緒されるのは今回が初めて、とか。

大丸隆平(以下O):10年以上会ってなかったんですが、去年スガちゃん(菅井さん)からメールをもらって東京で久しぶりに会って。何か一緒にできたらいいなあ、って話していたんです。ずっと会ってなくても、幼馴染だからすぐパチっとスイッチが入る。NYに着いて、空港から直接うちのスタジオに来てくれて30分後にはもう一緒にロケハンしてました。疲れてるかな? 時差ぼけとか大丈夫? とか聞く暇もないくらいスムーズで。

菅井健也(以下S):スイッチが入るという感覚すらなかったかも。スタジオでオオマ(大丸さん)のやっていることを実際見て、しっくり来たというか。

A:どんな子供時代だったんですか?

O:同じ小学校に入学して、4年生か5年生くらいの頃、同じ塾に行きだしたんです。でも全く勉強しない塾だったんですよ(笑)。塾長が6〜7クラスくらい掛け持ちしてるから、行っても1〜2時間は自習。だから俺たち抜け出して、橋の下で遊んだり、ラーメン食いに行ったり、悪さしてましたね(笑)。それで仲良くなった。

S:中学を卒業してオオマは進学校、俺は工業高校に行ったんです。ある日、ばったり会って「どこ行くん?」って聞いたら何にも言わないんですよ。でも俺しつこいから(笑)、「内緒にされたらついていく」ってずっとついていったら、1時間くらい歩いた末にボクシングジムについたんです。それで「俺も一緒に習うわ」ってことになって。

O:へー、そんなこともあったっけねえ。大阪帝拳(名門ボクシングジム)の姉妹校。

S:でも結局ボクシングもほとんど行かなくなったけど。オオマは『明日のジョー』を見てボクシング始めたのにうどん屋でバイトしだしたんです。『明日のジョー』では、マンモス西(主人公の友人)がうどんを食いに逃げる象徴的なシーンがあるんですが、それは(常に減量をしなくてはいけない)ボクサーとしては最悪の行為なんですよ。

O:『明日のジョー』をちゃんと理解していなかったな(笑)

S:結局半年も続かなかったけど、感覚が近いな、と感じた出会いはそこかもですね。なんの話してるんだか(笑)。


論理派の大丸、感覚派の菅井

O:スガちゃんは子供の頃から面白かったよね。見てるポイントが人と違って、人を笑わせるのが上手かった。子供の頃って、アウトプットの種類がシンプルだから。

A:確かに、足が速いとか、ギャグが面白いとかの方が人気者になれる。

S:勉強ができなかったから、それ以外に何ができるか?っていうのは常に考えてましたね。

O:俺は会話の中で笑いの種を撒き、伏線をはりながらストーリーを作った末に相手を笑わせるんだけど、スガちゃんはその上にもっと面白い話をかぶせてきたりする。感覚的に鋭くて、いつも世の中を斜めから見てるようなところがある。俺はどちらかというと論理的でスガちゃんは感覚的。

S:オオマは勉強が出来たから。中学の卒業式だったかな、将来の夢として「スター爆笑Q&A」に出る、って書いたんです。それで高校の時は芸人になるため大阪で吉本に入ろうとしたんですよ。でもやっぱり大勢の人の前で話すのは無理で、演者としての自分が想像できず、辞めたんです。それまで目指していたことを諦めるって、ショックじゃないですか。次はどうしようかな、と思いながらも時間だけはあったんで、オオマの文化(服装学院)の入学式についていったりしましたね。

O:そうだったけねえ、そうだったねえ。



S:彼は高校の時から言い続けてきた夢を着実に実現させていて。俺の記憶で鮮明に残ってるのは「パリコレに行く」って高校生の頃から言いふらしてたんですよ。街の定食屋のおっちゃんとかにも。俺、そういうのは言えない人なんです。

映画『トレインスポッティング』がヒットしていた頃で、俺はサブカルチャーとかアートとかが好きだった。それで、京都でオオマと一緒にカメラ買いに行って、ロンドンで映像を学ぶことにしたんです。

大学に入る前の基礎コース的なところに入学してビデオメイキングを学んでいるうちに写真も撮り始めて。数年後、ロンドンから自信満々で帰国した時に東京でオオマに会って、留学中に撮った写真を見せたんですよ。そしたら「スガちゃんぽくないね、普通の写真だね」って言われたんですよ。モノクロで撮影したおしゃれなビルとかだったんですが、それで俺、ハッとさせられた。「自分らしさって何だろう?」と考え、それからフラッシュ焚いて、太ったおっさんとかを撮り始めたんです。

O:そっか、自分がそんなこと言ったって、あんまり覚えていないんだけどな。

S:それから10年くらいは自分に戻る、っていうことを意識的にやっていました。警察官と犬を並べたちょっと皮肉な写真のシリーズとか。写真新世紀に応募するときもオオマにエディットを手伝ってもらいましたね。その時はもう、就職して(日本のデザイナーの)アトリエで働いてたね。一緒にノイズのバンドもやってて、曲作ってデザイナーさんに聴いてもらったりしたね。

A:すごい!どんな反応が? 

O:パリまで持っていってはくれたけど、採用はされなかったですね(苦笑)。パタンナーの分際で今シーズンに使うショーの音源作ってきました、って言ったら普通驚きますよね。

S:当時、俺はノイズっぽい感じの音を作ろうとしてたら、オオマは「それだと駄目やろ」って。すでにあるノイズ音楽に寄せていっても、それは俺ら自身が作った音とは違うってこと。

似たようなエピソードで、ある日、洋服屋さんでオオマと服の話してて、店長が「パリっぽいですね」って褒め言葉としていったんですよ。そしたら彼は「いや、パリっぽいっていうのは駄目だろ」っていうんです。

A:店長さんにしたらふと言った感想なんでしょうけど、そういうのが本質を最もついていたりしますからね。とんがってましたね、大丸さん。

S:それ以来、俺ら、人をいじるのに「パリっぽい」って言い出したんです。“俺ら系”ってよく言ってましたね。共通の感覚、好きなものとかに対して。


<後編に続く>


大丸隆平
福岡県出身。文化服装学院卒業後、日本を代表するメゾンブランドにパタンナーとして勤務。2006年、某ニューヨークブランドにスカウトされ渡米。2008年、ニューヨークのマンハッタンにデザイン企画会社「oomaru seisakusho 2」を設立。名前の由来は実家のやっていた家具工場で、モノ創りをベースにファッションにおける新しいステータスをクリエートするという理念のもと立ち上げた。スタッフは全員日本人で構成し、MADE IN JAPANの創造力、品質を世界に発信し続けている。現在も数多くのクリエーターに企画デザイン、パターン製作、サンプル縫製サービスを提供する。2015年秋冬シーズンより、ブランド「OVERCOAT」をスタート。2016年、「大丸製作所3」を東京・神宮前に設立する。
(受賞歴等)
2014年 第2回 CFDA FASHION MANUFACTURING INITIATIVE
2015年 第33回 毎日ファッション大賞 鯨岡阿美子賞を連続で受賞

菅井健也
京都府出身。5歳の時一家で福岡へ移住。高校卒業後ロンドンで映像を学ぶ。2008年第31回公募「写真新世紀」で優秀賞を受賞。作品制作のほか、ボッテガヴェネタのウェブマガジン『Issued by Bottega 』、『VICE』、『Harper’s BAZAAR』日本版、『Numero TOKYO』などで活躍。

市川暁子
NYを拠点にファッション、デザイン、アート分野のブランディングおよびコンサルティング業務を手掛ける。ニューヨークコレクションのリビューは20年以上続けており、新聞雑誌媒体の編集や執筆活動も。


インタビュー第2弾・前篇「OVERCOATの大丸さんと「穴」についての哲学的な話。」

インタビュー第2弾・後篇「パンダTを着た“奇才”ランナー 大丸さんはこれからも走り続ける。」

インタビュー第1弾「Dice&Dice、OVERCOATと出逢う。」

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