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みんげい おくむら

みんげい おくむら

日本や世界の各地から集めた手しごとを中心とした生活雑貨のお店。
今の時代、今の生活に合った「みんげい」を探し、提案しています。

民藝との出会い

毎年、沖縄展では『みんげい おくむら』店主、奥村忍さんに、琉球ガラスや沖縄のやちむんなど、沖縄の民藝を紹介してもらっている。今回は奥村さんに民藝との出会いや、印象深かった旅のことなど、いろいろとお話を伺がった。

「僕の母親が民藝のものだったり個人の作家さんのものだったり、いろいろな焼き物を買っていたので、幼い頃からなんとなく身近にありましたね。当時はいわゆる民藝という言葉も知らなかったんだけど、20代前半に民藝に関する本を読んで、これって普通に家にあるじゃん、みたいな。出会いはそういう自然なものでしたね。そして20代後半、仕事の都合で大阪のマンスリーマンションで暮らすことになったんですけど、そこは家具とか家電、食器まで備え付けの部屋で、何一つ自分の好きなものが無くて、とても居心地が悪かったんですよ。そこでいかに自分の身の回りのものが豊かだったのか気がつきました。それを知って当時の同僚や知り合いが、お酒好きの僕のために、作家さんが作ったお酒を飲むコップとかグラスをくれたんです。やっぱり、そういうものの方が備え付けのものよりも断然良かったんです。実家にいたら当たり前すぎて分からなかったかもしれませんが、真逆の暮らしをしてみて初めて人の手で作られているものの良さを考えるようになりましたね」

みんげい おくむら

『みんげい おくむら』ができるまで

「もともと30歳までには自分で何かしたいという気持ちがあって。それと、前の仕事は全国をまわる仕事だったんだけど、時間があればその土地のものを色々と見てまわることも好きでした。なので旅をしながら誰かのためになることができないかと、徐々に今のお店のかたちを思い浮かべていった感じですね。大阪にいた時のものは、頂きものもあるんですが、もちろん自分で買い揃えたものもあります。それは古くからやっているいわゆる民藝店に行って買っていました。でも、そういう老舗の民藝店のお客さんは、若いお客さんが少なかった。民藝のものって見る人が見れば結構イケてるのに、それってすごくもったいない。見せ方ひとつで全然変わるのにな、と思っていました。作ってる人たちの中には、自分と変わらない世代の人も多く、普通に会社に勤めるよりもすごくカッコいいことをしてるのに、ごく一部の人にしか見てもらえない環境なのもつまらないなとも思っていました。なので、そういうことで何かできないかと考えるようになったんです。とはいえ僕もお世話になっているお店なので、その店の商売を壊すようなことはしたくないので、そうならないようなやり方を考えて、ネットで販売することに行き着いたんです。ネットだと老舗の民藝店の人たちの邪魔もしなくて済むし、常に店にいなくていいので、旅をしつつ続けられる。それが『みんげい おくむら』を始めようと思ったきっかけでしたね」

みんげい おくむら

初めて行った沖縄のこと

「この仕事をすることになって初めて沖縄に行ったんですよ。元々海のリゾートとかにあまり興味がなくて、旅をするにしてもそういう観光地は避けてました。でも、実家で使っているものの中に沖縄の北窯のものもあったんです。それがすごく好きだったので、この仕事を始めるにあたって、まずは沖縄に行ってみようと思ったんですよ。もしかしたら、作ってる人たちはネット販売は嫌がるかもしれない。そこで自分がやりたいことを話して、作ってる人たちに嫌だって言われたら、考え直そうと思っていました。そして、北窯に行って話をしたら『全然いいさぁ』って言ってもらえて、『マジか!この人たち最高』と思って。それでネットでお店をやる決意を固めました。でも、後から知ったんですけど、沖縄の人って割と誰にでも『全然いいさぁ』みたいなことを言うみたいで(笑)。まあ自分のタイミング的にはそれで良かったんですけど。その時、沖縄には3、4泊したんですけど、自分でちょっと調べたり、移住した友達に教えてもらったりして、焼き物屋さん以外のものも色々と見てまわったんです。そしたら、やっぱり国際通りの周辺とかは想像通りいわゆる観光地だった。でも、例えば宜野湾というところに家具屋通りという通りがあって、そこは米軍払い下げとかミッドセンチュリーの家具が沢山売ってたり。やっぱり僕たち世代は90年代にアメリカのカルチャーにどっぷりだったから、東京にいるよりも沖縄の方がアメリカのカルチャーの匂いを感じたり。そういう中に北窯みたいに焼き物をやっている人たちがいて。いわゆる観光地だとしか思っていなかったところだったけど、見方を変えると面白い部分を沢山発見できて、結構楽しい場所だなあと思いました。それが初めての沖縄でしたね」

みんげい おくむら

印象深かった旅のこと

「ちょっとマニアックなんですけど、2006年に旅をしたイエメンというところが最強ですね。アラビア半島、サウジアラビアの下の方です。色々あって残念なことに多分しばらく入れないんですけど。今ある『TRANSIT』って言う雑誌って、前は『NEUTRAL』って言う名前でやってたんですけど、その『NEUTRAL』の創刊号がイエメンだったんですよ。その表紙の写真に一発でやられちゃいまして。これはちょっと行かないとな、みたいな。すごい古い景色とかが残ってて、こんなところに本当に未だに人が暮らしてんのかと思うぐらい。イエメンの人たちってめちゃくちゃ敬虔なイスラム教徒なんですよね。なんで本当にお酒とか全く無くて。2週間くらい旅したんだけど、僕も一滴も飲めなかった。夜が明けてきたら町中の拡声器からコーランが流れてくるんですよ。そしてみんながお祈りに出るんだけど、本当に寝てらんないですよ。夜明けと同時に起こされる、みたいな。だけどイスラム教徒の人たちってとてもいい人たちで、お客さんをすごく大事にするんですよ。別の宗教の人でも関係なく。道に迷ってたら車がすぐ止まってくれて乗せてくれようとしたり。さすがになかなか怖くて乗れないですけどね。僕たちあんまりイスラム教徒の人たちと触れ合うことってないじゃないですか。ましてや、すごい数のイスラム教徒の人たちの中にぽつんと自分だけ入るとかないじゃないですか。だからもう全然価値観が違くて、そこが一番すごかったですね」

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奥村さんにとっての民藝

奥村さんの中国の旅をまとめた紀行文『中国手仕事紀行』が出版された。民藝や食をめぐる興味深い話が美しい写真とともに綴られていて、奥村さんのような旅を、いつかしてみたいと思うようになった。その中に「中国のお茶は最も民藝的である」という話があった。民藝と聞くと、どうしても焼き物や竹細工などを思い浮かべてしまう。なぜ中国のお茶は最も民藝的なのか、その真意を伺った。

「大分の小鹿田焼とかは何百年も続いていて、長い間民藝という言葉で言われてきた。それはそれでよくわかります。でも、民藝って言葉ができたのは90年以上前なんですよね。当たり前ですけど90年前と今の僕らの暮らしって全然違います。じゃあ90年前に民藝と言われてたものが今も本当に民藝か?と考えるとその辺すごく難しいんですよね。例えば僕が紹介する琉球ガラスは戦後の仕事なんですよ。だから、民藝という言葉ができた時代には琉球ガラスはなかったんです。でも民藝という言葉を作った人たちは、イランとかエジプトとかメキシコとかにもともと再生ガラスというのがあって、それがとても民藝的なものということを知っていたんですね。だからそれが沖縄で始まった時に、これはまさに民藝じゃないかとなったんですね。物資がない中で工夫して、米軍の人たちが飲んだコーラとかセブンアップの瓶を溶かして自分たちのコップを作る。当時の時代背景と合っていて、本当に生活に必要なものなんですよね。だから、やっぱり僕としては時代時代に合った誰かの手で作られているもの、それがすごく民藝的なものだと思いますね。それで、お茶の話なんですけど。今の時代こだわりのものってたくさんあるけど、ちゃんと生産背景が見えるものってなかなかないじゃないですか。その中で、極上の素材を使って最高の職人の手で作る、っていうのがひとつあるんですけど、そこそこのものをそこそこのやり方でそこそこの値段に仕上げる、っていうのもあるんですよね。最高のものっていうのは個人作家とか伝統工芸みたいな話であって、民藝の話はそこそこの話なんですよ。もちろん技術が低いとか、手を抜いてるとか、そういうことじゃない。例えばうつわなら、ちょっと歪みがあったりしても、使えるからいいじゃん、みたいな。最高の技術の方だったら、歪んだものは壊して、かたちのいいものの値段を倍する、みたいな。でも、どちらかっていうと民藝のものっていうのは、言い方悪くすると、雑な要素もあるけど、とにかく普通の人たちが普通の暮らしに使うために、いっぱい作って安く出そうとしてたものなんですよね。で、今そういうものを身の回りで見つけられるかっていうとなかなか無くて、僕の中では中国とか台湾を旅する中でその感覚を持っているのがお茶だったんですよね。例えば、九州だと鹿児島や八女、嬉野なんかでいっぱいお茶作ってるじゃないですか。茶畑って背の低い木がバーっと広がった景色を想像するでしょう。あれって茶摘みしやすいように人間がお茶の木をものすごくコントロールしている。だけど中国とか台湾は、木は伸ばしっぱなしで低くしてないものも多い。雑草も生えっぱなし。お茶の木ってほっといたら自然に縦に伸びるんですよ。だから、中国の本で書いているようなところとかは木が4メートルとかなんですよ。本当に木登りしながらお茶を摘むんです。だから機械詰みなんてとてもとてもできない。乾燥させたりとか、その後の作業も全部人の手でやるんですよ。仕上げまでをひとつの家族とか、そこに親戚が入るぐらいの規模感でやっていて。それが昔っから地元の人だったり、そのお茶が好きな人のために売られていく。そういう一連の流れが、元々の小鹿田焼だったり、琉球ガラスだったりとかに共通しているところがあるなあと思って」

みんげい おくむら
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沖縄民藝の使い方

「琉球ガラスの使い方」

耐熱ガラスではないので、100度のお湯をぶっかけたら割れます。ご注意ください。コーヒーやお茶などは大丈夫なケースが多いですが、割れるのが怖かったらやめておいた方がいい。再生ガラスといって、もともと何かの用途のガラスだったものを、砕いて、もう一度溶かして、そして成型しています。

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「北窯 尺皿の使い方」

一尺は30cmほど。このサイズになると、作るのに技術も必要だし、窯の中でスペースをとる。おまけに焼き損じも出るので、これ以下のサイズよりもちょっと高くなります。が、やはりそれなりに作り手が気合を入れて作っているので、迫力は抜群です。飾ってよし、使ってよし。二人暮らしぐらいでも、1枚あるととても良い。おかずや麺料理を取り分けて食べたり。鍋をやる時なんかは、具材を全てそこに並べてみたり。

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「北窯 八寸ワンブーの使い方」

ワンブーは沖縄独特の言葉で「碗」のこと。特にワンブーは指を引っ掛けて持つように、フチに引っ掛かりがあるのが特徴で、汁物やたくさんのおかずを入れても持ちやすい。これも使ってよし、飾ってよし。ショールやストールを巻いて放り込んでおいてもいいし、使い方は食器としてだけではない。

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わたしの沖縄ガイド/奥村さん

「すずらん食堂」

「僕がよく行く食堂で『すずらん食堂』っていうところがあるんですよ。那覇なんですけどね。琉球ガラスを作っている奥原硝子製造所がもともと那覇にあって、そこの硝子工房の職人たちの昼飯とかを食わせるために職員の奥さんとかがやってたんですよ。工房は今は移転して場所は違うんですけど。工房の人以外にも食べさせるようになって、高いメニューで700円くらいで大体が500円前後っていう、すごい沖縄の食堂っぽい食堂なんですよ。水を飲むコップだけは工房で作ってるコップで。あと店内のいたるところに古いガラスのオブジェ(米兵がかつてお土産で注文したもの)とかが飾ってあったりはします。食べに来る人はあんまり奥原硝子とこの食堂の関係も知らないと思うし、その感じがすごい面白いし、とにかくホッとするところなんですよ」

すずらん食堂
沖縄県那覇市与儀1丁目26−11
Google MAP

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「コザ」

「もともとカタカナでコザなんです。コザ市だったんですね。今は沖縄市になってて、よく那覇市と勘違いされちゃうんだけど、沖縄市っていうのは沖縄で2番目の市なんだけど、その中心のところがいわゆるコザと呼ばれているところ。コザは基地の街なんですよ。ベトナム戦争ぐらいの時が一番景気が良かったみたいで、ベトナムに出て行く米兵が有り金はたいて出て行く、みたいな。同じ隊の人たちがみんなでワッペンを作ったり、おんなじタトゥーを入れて出ていくみたいな。だからワッペン屋さんとかタトゥー屋とかが未だに結構あるんですよね。あと、なぜかインド人がやってるテーラーがあったりとか。米兵向けの飲み屋と日本人向けの飲み屋とがごっちゃになってて、すごく独特の町なんですよ。感覚的には佐世保に近いんだけど、そこにもっと沖縄要素が入ってて、ベトナム戦争以降はあんまり景気も良く無くて、活気はないんですけど、昔すごかったんだろうなみたいな町の匂いがします。その町でしっぽり飲むのが好きですね」

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わたしの沖縄展/奥村さん

Aloha Blossomの「Foundation」

「柄物もいいんだけど単色がすごくいいなと思って、ずっと僕は単色のアロハを着てましたね。ずっとトモちゃん(小野崎さん)がなにか一緒にやりたいねって言ってくれてて。僕も一緒にはやりたいけど、お互い無理してマイナスになったりとか、どっちかがくたびれるようなことはしたくなかった。それで、沖縄展の話をもらって、初めて無理無く普通に入っていける気がしたんですね。沖縄っていうのもあるし、アロハブロッサムのものづくりのこだわりとか良さを聞いてると、僕が扱うものを同じように紹介しても、不自然な感じが全然ないなと思って。そこがすごくいいとこに落ちたと思うんですよね。その意味で、僕がアロハブロッサムのことを語れるとしたら単色がいいなということですかね。結局一番飽きずにずっと自分に馴染むような感覚があって、柄物もいいんだけど、気が付くと手に取っているのは無地。ということで、アロハブロッサムだと無地を推したいところです」

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