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みんげい おくむら

みんげい おくむら

  1. 1 母親の好きなもの
  2. 2琉球グラスのすゝめ

母親の好きなもの

僕の楽しみのひとつは、妻と娘が寝静まったのを見計らって始める、ひとり酒盛りだ。部屋には子供の遊び道具が出たまま、流しには洗い物が残ったまま。お酒も近所のスーパーで買う、ビールか安物のウイスキーがほとんどだ。なんとも生活感溢れるしつらえだが、部屋の照明をなるべく絞って、「みんげい おくむら」で買った奥原硝子のロックグラスにお酒を注げば、ちゃんと雰囲気が出て、気分が上がるから不思議なものだ。

先日そうやって、ラジオを聞きながらひとりで盛り上がっていると、ラジオの話題は「11PM」という昔あったテレビ番組の「異色対談」というコーナーの話になった。それは文字通り「異色の対談」で、全く違うジャンルの大物が、予備知識なしで対談するというコーナーらしい。話が噛み合わなければ、当然ハプニングも起こる。そんな、今では考えられない危なっかしい内容だったそうだ。

例に上がったのは、先代の林家三平とオノ・ヨーコの対談。とても興味をそそる座組みだ。二人はどんな話をしたのだろうか。意気投合しそうな気もするし、話にならない感じもする。たまに名前だけ聞く「11PM」という番組。調べると、僕が生まれた数ヶ月後に番組は終了していた。生後数ヶ月の僕が寝返りしようと格闘する居間のテレビから、そんな刺激的な番組が流れていたなんて。惜しい。もう少し早く生まれていれば。

誰かに尋ねてみようかと思い、ふと母親の顔が浮かんだ。母親はよく、ビートルズを好んで聴いていた覚えがある。もしかしたら、オノ・ヨーコの「異色対談」も観ていたかもしれない。

でも、母親に聞くのは気が引けた。母親は僕とそういう話をしようとしない。むしろ母親は、僕が思春期の頃、よく僕の音楽や服の趣味を「ダサい」と言ってはっきり批判していた。「普通、親ってそういうこと言わないよな……」と僕はかなり戸惑い、そして正直むかついてもいた。

母親に色々と好きなものがあることは、僕もなんとなく気付いていた。家の押し入れの母親の持ち場には、CDとカセットテープと本が詰まった段ボールが、いくつもあるのを僕は知っていたからだ。時折、母親ががさごそとその段ボールを漁って何かを持ち出すのを、僕は見ていた。

僕は一度だけ、母親におすすめの本は何かと聞いたことがある。その時も母親は「本ぐらい自分で選べば?」と、すぐに僕の質問を突っぱねた。「聞かなければよかった」と僕が後悔していると、母親は突然僕の部屋に入ってきて「これでも読んだら」とぶっきらぼうに言い。僕に一冊の本を手渡した。表紙には「村上龍『69 sixty nine』」とあった。

母親らしくない行動に僕は驚いたが、その本はなんだか読む気になれずに、机の同じ場所にずっと置いたままだった。ある日気が付くと、もうその本は無くなっていた。

大人になって古本屋に立ち寄った時、偶然その本が目に入った。頭の片隅にずっとあった「69 sixty nine」だ。僕は思わず手に取って、持ち帰り一気に読んだ。あまりに青々しい物語で、確かに楽しい読書ではあったが、もう大人になった僕には心から感動できるものではなかった。「もしあの時読んでいたら、違う感想だったかもな」僕はそう思って、気が付いた。あの時、母親は青春を過ごす僕のことを思って、この本を選んでくれたのだと。ぶっきらぼうな言葉は母親なりの照れ隠しだった。僕があの時すぐにこの本を読んでいれば、もう少し母親と話ができたかも知れない。

昨年の沖縄展で「みんげい おくむら」の奥村さんに、民藝との出会いについて話を伺った。その出会いは「意識せずとも幼い頃から身近にあったんです」と奥村さんは教えてくれた。奥村さんのお母様が買い揃えていた民藝などの焼き物。それは奥村さんにとって、出会いというよりも日常だった。そんな民藝と暮らす日常から離れて、改めてその豊かさに気が付いたという。それを聞いて僕は、その時はまだ生まれていなかった娘を思い、いくつかお皿を買い足した。僕が好きなものを、いつか娘にも使って欲しいと思ったからだ。

「69 sixty nine」は1987年に出版された。母親が青春の頃だ。そしてその冒頭は、1969年に東大入試が中止になったこと、そしてビートルズが発表したアルバムと曲に触れて始まる。1969年は母親が生まれた年だ。

きっと、母親は青春の頃にこの本を読み、自分が生まれた年のことを思っただろう。僕は思い切って、母親にオノ・ヨーコの「異色対談」を覚えているか尋ねてみようと思った。ぶっきらぼうでも聞こうと思った。今度こそ、母親の好きなものを教えてもらうために。