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SHIRONAMESHI Craftsman
白鞣し革職人 新敏製革所(しんとしせいかくしょ)代表 1955年兵庫県姫路市生まれ。1973年より家業を継ぎ、植物タンニン鞣しやクロム鞣し革の製造を開始する。2000年、白鞣し保存研究会の活動に感銘を受け、白鞣し革の研究と製造を行う。一般社団法人 日本タンナーズ協会 副会長、一般社団法人 日本皮革産業連合会 常任理事などを務め日本の革産業の発展に寄与する。姫高皮革事業協同組合 副理事長 (2010 – 2016) 一般社団法人 日本タンナーズ協会 副会長 (2014 – 2016) 一般社団法人 日本皮革産業連合会 常任理事 (2014 – 2016)
白鞣しの最大の特徴はその工程と仕上がりにあります。まず、「自然な素材」だけで作っているというところです。肉を取った牛革を河水に漬けるところからはじまり、手作業で脱毛する。それから塩と菜種油で揉んで、革を柔らかくしていく方法が白鞣しです。一方、一般的な革は薬品を使って毛を溶かし、タンニンやクロムといった鞣し剤を入れて加工しています。自然な素材のみで作る白鞣しの革からは薬品の匂いは一切しないですし、革本来の香りがするというところにも違いがあります。
時代ごとのものづくりを記録する「延喜式(えんきしき)」から、白鞣しの歴史をさかのぼることができます。平安時代に白鞣しについて載っていることから、千数百年の歴史があることは読み取ることができます。また、大和民族が鞣し革を作っていなかったので、鞣し革は大陸から入ってきた文化であるということもわかっています。ただ、白鞣しの始まりについては文献を読んでも定かではないのです。日本の生活様式の変化と共に、鞣しと革が時代に馴染んでいったのだと思います。
生活様式の中の衣服や靴にも使われていましたが、歴史を振り返ると武具馬具というのが鞣し業の中心にあったと思います。衣服にする糸がない時代、先人たちは自然に食べていた動物の革を着ていたけれど、着心地が悪くて改良していった。それが数千年の時をかけて鞣し技術というものが徐々に確立されたと、文献で読んだことがあります。その他の用途だと、動物の皮は煮出すと膠になるわけですが、これはコラーゲンなので食用としての使い道もあります。
白鞣しというのは、自然の中で革を作ります。この地で栄えたのは、気候風土が白鞣しをするのに適していたということなんです。日本の中でもこの播磨平野というのは晴れが多いんです。一年を通して雨が少なく適度な湿度があって、風も穏やか。市川という川があって重たい原皮を運ぶのに物流面でも環境が整っていた。さらに車で30分も行けば瀬戸内海があるから、そこで塩を作っていたと言います。鞣しに使う菜種油もこの辺り一帯は産地だったんです。白鞣しをする上で自然環境すべてがマッチしたのが、この場所だったのだと思います。
今のところ白鞣しの職人は私一人しかいない状況ですが、これは私が最後の職人という意味ではありません。今から20年前まで、タンニン鞣し、クロム鞣しの革を作る工場を営んでいた私は、一から白鞣しの技術を学び始め、そこからさまざまなチャレンジをしてきました。そして、自分ならではの革作りというものも確立できてきたので、これからは後継者の育成にも力を入れていきたいと思ってます。この白鞣し革を使う人が増えていけば、革を作る職人も必要になります。日本だけじゃなく、世界中に白鞣しの魅力が広がることを願っています。
一番大切なことは料理と一緒で、この素材を見たときに調理したいと思っていただけるか。鞣した革が最高の状態のものではなく、それを最高のものにするのが、デザイナーであり、ものづくり職人だと思います。私の作る白鞣しのベースから、どんな色を足すか、どんな仕上げを使うか、どんなアレンジをして自分ならではの表現を生み出すか。白鞣しに対して、真剣に取り組んでいただければ、想像以上のものができると思います。
これはいわゆる白色じゃなくて、自然な動物の肌色なんです。肌色という肌そのものの色彩で、白鞣しをした革の肌色は、血液も何も入っていない、腐る成分も一切入ってない状態です。つまり色ではないんです。動物の死後、微生物が宿って食われ、溶けて消えていくわけです。その溶かす成分を抜いて安定させたのが、この鞣しという作業。「究極の革とはなにか」と考えるとき、私は白鞣しが究極だと思うんですよ。何が究極かといったら、それは完成されていないということ。先ほどもお話したように、これを調理するのが次の方の役割です。
今は私一人で作っていますから、一人の仕事の量しかできません。頭数で計算すると、月間でおおよそ牛20頭、鹿200頭です。しかし私がこの20年でやってきたことは、どう技術を単純化するかということと、誰にでも作れるようにするということ。この2点を考えてこれまで技術改良してきましたから、これから生産量を増やそうと思えば、難しいことはありません。職人が増えて、技術をマスターする人が増えてくると白鞣しにも変化が出てくる。ものづくりというのは、作る人の個性が出てくるんです。そういう意味で、切磋琢磨していくことによって、もっと技術が向上する可能性を秘めている。だからこそ私はもっと生産が増えて、これを加工する人も、使う方も増えていって欲しいと思っています。
こういう仕事をしている限り、一番大事にしているのは命なんです。動物にも皆、命があって今まで生きてきて、人間が生活するための力として動物の血肉をいただいて生命を伸ばしてるわけなんですね。家畜として生まれてきたものを、餌をあげて優しく育て、最終的にその命を奪います。しかしその後に、この皮に命を与えるのが鞣し業者の使命だと思ってます。皮を鞣すということは命を与えるというということです。命を与える限り、生半可なことはできない。どんな皮に対しても、どの個体に対しても差別をしてはいけない。傷があろうが何があろうと、全部平等に扱うということですね。そして失敗は許されないということです。命を与えるための最善を尽くすということです。それが技術です。それが知識です。それがなかったらこの仕事はできません。だから次の人も、それを感じて形ある商品にしていただきたいです。
薬品を使用していない、自然の中で革を作るので、そこから出てきたものも自然の肥やしになればいいなと考えています。毛は自然に土に還ります。油は餌として撒いているわけではないのですが、固めて置いておけば、いつのまにか鳥や小動物が全部食べているんです。これは自然のものがまた自然に還っていくということです。動物は偉いなと思うのが、一つ残さずにきれいに食べてくれるんですよ。循環というのは、変なことをしない限り、うまく作用してるんだと感じます。これは私の勝手な持論ですけどね。
誰でもええ。この革を見て、触れて、使いたいと思ってくれた世界中の方に使っていただけたら嬉しい。使う方がどのようなものにされるかを、職人である我々は考えなくていいことです。行商して売るようなものでもないんです。意外かと思いますが、靴や鞄や衣服の他にも、厚い革だったら義足にもなっているんですよ。義足を作られている方によると、白鞣し革を使った義足を「この義足は私の足のように感じます」と言うんですって。今までの革ではそれを感じていなかったけど、白鞣しになった時から怪我をする前の感触があると言うんです。さらに強度も高いので、義足の修理のサイクルもすごく長くなったと聞きました。 白鞣しの仕事が誰かに喜んでいただけることであれば、それはこの上ない喜びです。